選手に必要なのは、どちらが正しいかという答えではありません。自分が何を目指し、その選択で何を得て、何を手放すのかを理解したうえで選べる状態です。

稜線 Ryosen編集部は、この発表を方法の議論ではなく、目的の議論として読んでいます。

何が始まったのか

発表したのは、公益財団法人全日本軟式野球連盟、日本サッカー協会、日本バスケットボール協会、日本ハンドボール協会、日本ラグビーフットボール協会、日本スポーツ協会の6団体です。

発表によれば、今後はステートメントの浸透、シンポジウムの開催、マルチスポーツ体験イベントの実施、競技間で共有する育成・普及プログラムの開発、指導者養成カリキュラムへの反映、競技を越えた人材交流の場の創出などが予定されています。

注目したいのは、指導者養成カリキュラムへの反映です。これが実行されれば、理念の共有にとどまらず、育成年代の指導方法そのものに関わることになります。ただし、いつ、どの養成課程から変えるのかは、現時点の発表からは読み取れません。

同じ名前の取り組みが、
ニュージーランドにある

「Balance is Better」という名称の取り組みは、ニュージーランドにも存在します。Sport New Zealand(スポーツ・ニュージーランド)が支援するもので、専用サイトで考え方が公開されています。目的はこう説明されています。

Balance is Better is about creating quality experiences which will help all young people stay in sport for life.
すべての若者が生涯にわたってスポーツを続けられるよう、質の高い経験をつくること

そして、スポーツが早い段階で過度に真剣なものになったときに何が起きるかについて、次のように述べています。

Sport can help young people learn new skills, connect and build confidence. But when it becomes too serious too soon, it can create pressure, burnout and drop-out.
スポーツは若者が新しい技術を学び、人とつながり、自信を育てる助けになる。しかし、あまりに早く、あまりに深刻なものになったとき、それはプレッシャーと燃え尽き、そして離脱を生む

なお、日本の発表文に、この取り組みとの関係は明記されていません。名称と方向性が共通している、という事実にとどめて書いておきます。

野球は、どの単位で参加するのか

発表を読んで、編集部で話題になったのは団体の並びでした。

サッカー、バスケットボール、ハンドボール、ラグビーは、いずれもその競技を統括する団体が参加しています。野球からは、全日本軟式野球連盟が名を連ねています。

野球には、学童、中学、高校、大学、社会人、プロというカテゴリーがあり、軟式と硬式があります。それぞれに別の組織があり、別の運営があります。競技を越えて何かを始めようとするとき、野球はどの単位で参加するのか。その問いが残ります。

今後どの団体が加わっていくのかは、発表からは読み取れません。

「マルチスポーツか、専門化か」で
決まる話ではない

複数の競技を経験することには、多様な身体の使い方や考え方に触れられるという見方があります。走る、跳ぶ、投げる、止まる。相手を見る、状況を判断する、仲間と協力する。競技を越えて共通する経験は少なくありません。ある競技でうまくいかなかった子どもが、別の競技で自信を持つこともあるでしょう。

一方で、競技を増やせば、時間、費用、移動、身体的な負担も増えます。すべてを積み上げれば、休養や自由に過ごす時間を失う可能性もあります。「いろいろ経験させればよい」というだけでは、育成の設計として足りません。

一つの競技に集中することにも、技術や戦術を深く理解し、試行錯誤を積み重ねられる利点があります。同時に、動きや考え方、人間関係が偏る可能性もあります。そして、野球に打ち込みながら違う運動を取り入れることもできます。競技の数だけで、その子の経験の豊かさは判断できません。

何かを選ぶことは、別の何かに使う時間や機会を手放すことでもある。そこを見ずにどちらが正しいかだけを議論しても、選手の育成にはつながらない。

「楽しさか、勝利か」も、二択ではない

もう一つ、この話題と一緒に語られやすいのが「楽しさ」と「勝利」の関係です。

スポーツを楽しむことは重要です。しかし、勝負そのものもまた、スポーツの面白さをつくっています。打てなかった投手から打つ。負けた相手に勝つ。勝ちたいから考え、負けたから工夫する。その過程にある成長も、楽しさの一つでしょう。

問題になるのは、勝利を目指すことそのものではなく、誰のための勝利なのか、ではないでしょうか。選手自身が勝ちたいのか、それとも大人が勝ちたいのか。ここには大きな違いがあります。

大人の役割は、選手に代わって勝利を求めることではなく、選手自身が考え、挑戦し続けられる環境をつくることなのかもしれません。なお、暴力やハラスメントの排除は、どの立場に立っても共通の土台です。ここは議論の対象ではありません。

理念は出発点で、到達点ではない

掲げたあとに、何が要るのか。何を目指すのか。そのために何を育てるのか。何を測るのか。何をもって変わったと判断するのか。そこまで決まって、初めて育成の仕組みになります。今回の取り組みも、これから具体化されていく段階にあります。

目的が違えば、見るべきものも変わります。競技力の向上が目的なら、技術、判断、筋力、スピードと、それを継続して発揮できる状態。長くスポーツを楽しむことが目的なら、参加のしやすさ、本人の楽しさ、健康状態。社会性を育てるなら、対話、協力、自分で選ぶ行動。

一つの尺度ですべての選手を評価することはできません。

測定は、数字を集めるためのものではない。「この数字を見て、次に何を変えるのか」まで決まって、初めて意味を持つ。

カテゴリーが変わるとき、
何が引き継がれているか

小学生のときに、どれだけ投げたのか。どんな怪我をして、どう復帰したのか。何を得意とし、何に悩み、これから何を目指したいのか。本来なら、それらは次のカテゴリーへとつながっていく情報のはずです。

ところが、カテゴリーが変わるたびに指導環境が変わり、それまでの経験が十分に共有されないこともあります。選手は一本の時間を生きています。一方で、育成する側はカテゴリーごとに分かれています。このずれは、野球の育成を考えるうえで無視できません。

本人の同意のもとで、それまでの経験を次の指導へ引き継ぐことはできないでしょうか。全員がトップを目指す必要はありませんし、途中で目標が変わることもあります。そのときに、これまでの経験を別の競技や生涯スポーツへつなげられることも、一貫した育成の役割だと考えています。

「何が正しいか」ではなく、
「なぜそれを選ぶのか」

一つの競技に集中する。複数の競技を経験する。勝利を目指す。楽しさを大切にする。どれか一つを正解にする必要はありません。

大切なのは、選手自身が何を目指しているのかを知り、その選択によって何を得られ、何を失う可能性があるのかを理解することです。指導者、保護者、トレーナー、医療従事者が、それぞれの立場から判断材料を提供する。「こうするべきだ」と決めるのではなく、理解して、選べる状態をつくる。

選手にとって、野球は一つだ。だからこそ野球界も、カテゴリーの内側だけで答えを出すのではなく、選手の過去・現在・未来を一本の線で見る必要がある。

稜線 Ryosenが、次に確かめること

ここまで書いてきた問いは、立場によって答えが変わるはずです。

選手は、野球をしない時間をどう考えているのか。監督・コーチは、複数競技の経験をどう見ているのか。トレーナーや理学療法士は、成長期の負荷をどう捉えているのか。医療従事者は、どの段階で何を止めるべきだと考えているのか。

同じ問いを、それぞれの立場に投げてみます。答えが一致するのか、分かれるのか。分かれるとしたら、何が背景にあるのか。稜線 Ryosenは、その違いを記録して可視化していきます。