私がスポーツの育成で大切だと考えているのは、何を目指すのかを明確にし、その目的に応じて、理念、指導、測定、評価を一貫させることです。一つの競技に集中するのか、複数の競技を経験するのか。楽しさを重視するのか、勝利を追求するのか。こうした選択は、誰が、どの段階で、何を目指しているのかによって変わります。
一つの競技に打ち込むことにも、さまざまな競技を経験することにも、メリットとデメリットがあります。何かを選ぶことは、別の何かに使う時間や機会を手放すことでもある。そのトレードオフを無視して、どちらが正しいかだけを議論しても、選手の育成にはつながらないと思います。
競技には、走る、跳ぶ、投げる、止まるといった身体の動きだけでなく、相手を観察し、状況を判断し、仲間と協力して課題を解決するという共通点があります。自分の身体をどう扱い、相手との関係の中でどう力を発揮するか。この土台を、競技を越えて整理することには意味があると考えています。
一方で、競技ごとのゲーム性は異なります。攻守が連続して変化する競技と、野球のように一球ごとの間がある競技では、判断するタイミングも、力を発揮する場面も違います。動きが似ているから、そのまま役立つとは限りません。共通する原理原則と、その競技に固有の技術や判断を理解したうえで、何を学ぶのかを考える必要があります。
複数のスポーツを経験することには、多様な身体の使い方や考え方に触れ、自分の得意や好きなことを見つけられるよさがあると思います。ある競技でうまくいかなかった子どもが、別の競技で自信を持てることもあるでしょう。違う役割や人間関係を経験することも、その人の幅を広げる機会になると考えています。
ただし、競技を増やせば、時間、費用、移動、身体的な負担も考えなければいけません。一つの技術を深く反復する時間との配分も必要です。複数競技の練習や試合をすべて積み上げれば、休養や自由に過ごす時間を失う可能性もあります。「いろいろ経験させればよい」というだけでは、育成の設計として不十分です。
一つの競技に集中することには、その競技の技術や戦術を深く理解し、試行錯誤を積み重ねられるよさがあります。一方で、動きや考え方、人間関係が偏る可能性もある。野球に打ち込みながら、違う運動や遊びを取り入れることもできるはずです。競技の数だけで、その子の経験の豊かさを判断するべきではないと思います。
日本人選手がMLBで活躍する姿を見ると、野球に集中して積み上げてきた過程の価値を感じます。ただ、その成功だけを見て、一つの競技への集中が最善だとは言い切れません。他競技を経験した選手の成功例だけを取り上げて、複数競技が優れているとすることも同じです。トップに届かなかった人や、途中で離れた人も含めて考える必要があります。
私は、どちらかを一律に勧めることより、その選手にとって何が必要で、何を得るために何を選ぶのかを説明できることが重要だと思います。何歳で、どの程度、どんな経験をするのか。現在の状態を確かめず、本人の意思も確認しないまま、大人がよいと思う方法を当てはめるのは、大人のエゴになりかねません。
楽しさと勝利についても、勝ちたいから考え、負けたから工夫し、できなかったことができるようになる楽しさは大きいと思います。勝負は、競技の面白さをつくる大切な要素です。ただし、本人が求めている勝負と、大人が求めている勝利が同じなのかは、常に確かめる必要があります。
5〜6歳でルールのある遊びに触れる段階と、高校や大学で競技力を高める段階、プロとして結果を求められる段階では、楽しさと勝利の扱い方も変わります。勝つための工夫、負けた悔しさとの向き合い方、相手への敬意を、どの段階でどう身につけるのか。その道筋まで考えて、教育と育成のプログラムに落とし込む必要があります。
人間的な成長と競技力の関係も、丁寧に見ていきたいです。挨拶、礼儀、生活態度は大切ですが、それが技術や身体能力とどのようにつながっているのかを考えず、「人間性がよければ競技力も上がる」とまとめることには違和感があります。指導者の言うことを聞くことと、自分で判断して行動できることも、同じではありません。
生活を整える、課題を言葉にする、仲間に必要な情報を伝える、自分の行動に責任を持つ。こうした力が、練習の質や競技中の判断、チームの連携にどう関わるのかを確かめたいと思います。人間的な成長と競技力をそれぞれ評価し、その関係を見ていく必要があります。
そのためにも、プロジェクトの目的を区別することが重要です。トップ選手を育てて勝利につなげること、生涯にわたってスポーツを楽しむこと、社会性を身につけることでは、優先する成果が異なります。重なる価値はあっても、同じ内容、同じ負荷、同じ評価で進めることはできません。
競技力向上を目指すなら、技術、判断、筋力、スピードなどの変化と、それを継続して発揮できる状態を確認する。生涯スポーツなら、楽しさ、参加の続けやすさ、健康状態を見る。社会性を育むなら、協力、対話、自分で選ぶ行動などを確かめる。それぞれの目的に応じた評価基準が必要です。
測定も、数字を集めることが目的ではありません。何を知るために測り、その結果から何を変えるのかを先に決めることです。年齢、成長段階、経験、本人の目標を踏まえ、他者との比較だけでなく、その人自身の変化を見る。数値で捉えられることと、対話や観察でしか捉えられないことを組み合わせて判断したいと思います。
また、評価は才能を早く決めつけるためのものにしたくありません。今できていないことが、将来もできないとは限らない。評価を次の経験や支援につなげ、一定期間後に確かめ直す。その繰り返しによって、育成する側も自分たちの方法を修正する必要があります。
さまざまな競技を経験して一つのスポーツに行き着く過程も、高校、大学、社会人、プロと進んでいく過程も、選手にとっては一本の人生です。次の段階に進めば、それまでの経験はすべて「過去」になります。しかし、その過去が現在の身体、技術、判断、価値観をつくり、未来の選択につながっています。
だからこそ、カテゴリーが変わるたびに育成の考え方や情報が途切れる構造は見直したいです。どんな運動を経験し、何を学び、どんな怪我をして、何を目指してきたのか。本人の同意のもとで引き継ぎ、次の指導に生かす。5〜6歳の入口から競技のトップまでを見通しながら、各段階の役割をつなぐ必要があります。
もちろん、全員がトップを目指す必要はありません。途中で目標が変わることもある。そのときに、これまでの経験を無駄にせず、別の競技や生涯スポーツへつなげられることも、一貫した育成の大切な役割だと思います。
私が考える「ホンモノ」を見極める基準は、肩書や成功談だけではありません。何のために行うのか、その競技の原理原則に照らして説明できること。得られるものと失うものを示し、選手の変化を確かめ、必要なら方法を変えられること。その判断基準を、指導者だけでなく選手や保護者も持てるようにしたいです。
何を目指すかによって、必要な経験も、指導も、評価も変わります。だからこそ、それぞれの目的に沿って、一気通貫した理念・目的・価値観を共有し、育成と測定・評価をつなぐことが重要です。選手の過去・現在・未来を見通し、その時点で必要な支援を考え続ける。その仕組みをつくることが、私の考えるアスリートファーストです。


