「筋肉が疲れた」だけではない
練習の後に身体が重くなる。試合の終盤に足が動かなくなる。 こうした状態は、ひとまとめに「疲れた」と呼ばれます。 ただし、その一言の中身は一つではありません。
スポーツにおける疲労には、少なくとも次のような側面があります。
これらは独立して起きるわけではありません。互いに影響し合います。 神経系の働きが落ちれば、筋が出せる力も下がります。 身体が重い日は、集中も続きにくくなります。
つまり、「疲れた」という一言を聞いたときに確かめたいのは、 何がどう下がっているのか、という中身のほうです。
中身を分けて考える理由は、もう一つあります。 側面によって、回復にかかる時間が違うからです。 一晩眠れば戻るものもあれば、何日もかかるものもあります。 同じ「疲れた」でも、翌日に同じ練習ができる状態なのか、数日かけて戻す必要がある状態なのか。 その判断が変わってきます。
中枢性の疲労と、末梢性の疲労は何が違うのか
起きている場所が違います。
中枢性の疲労は、脳や脊髄といった神経系の側で起きるものです。 身体を動かすための指令そのものが出しにくくなる状態だと考えられています。 末梢性の疲労は、筋そのものの収縮機能が落ちている状態です。 指令は届いていても、筋がそれに応えられない。
同じ「力が出ない」でも、
起きている場所は一つではない。
ただし現場では、この二つをきれいに切り分けられるわけではありません。 多くの場面で、両方が同時に起きています。 切り分けること自体が目的ではなく、「どちらの要素が強そうか」を考えることで、 その日に何をするかの判断材料が増える、という捉え方のほうが実際的です。
たとえば、練習の量は変えていないのに、身体の重さだけが続いている。 あるいは、動きは軽いのに、集中が続かず判断が遅れる。 どちらも「疲れている」状態ですが、同じ対応がふさわしいとは限りません。
選手自身が、自分の「疲れた」がどちらに近いのかを言葉にできるようになると、 指導者やトレーナーに伝わる情報の量が変わります。 「疲れました」より、「身体は動くけれど集中が切れる」のほうが、次の判断につながります。
心理的・認知的な疲労は、身体の疲労とは別ものなのか
別ものとして切り離すと、見落とします。
集中が続かない。判断が遅れる。いつもなら気づくことに気づかない。 練習の終盤になるとミスが増える。 こうした変化も、疲労の表れとして扱われます。
そして、身体の疲労と心理的な疲労は互いに影響します。 身体が重い日は気持ちも向きにくく、気持ちが沈んでいる日は身体も動きにくい。 どちらが先なのかを決めることより、両方が起きていると考えて対応するほうが現実に合っています。
回復にかかる時間は、どれも同じなのか
同じではありません。
一晩の睡眠でおおむね戻るものもあれば、数日かかるものもあります。 さらに、筋肉や腱、靭帯といった組織には、負荷が積み重なっていきます。
トレーナーの和田照茂氏は、稜線 Ryosenへの 寄稿の中で、 この種の疲労は抜けるまでに長い時間がかかり、張りや痛みとして強く出ないまま進むことがある、と書いています。
つまり、表に出ている症状が消えたことと、その下で起きていた疲労が抜けたことは、同じではありません。 「筋肉の張りが取れたから大丈夫」と言い切れないのは、このためです。
筋肉痛があれば、疲労しているということなのか
筋肉痛があるかどうかと、競技に必要な能力が落ちているかどうかは、必ずしも一致しません。
筋肉痛があっても、競技に必要な能力が大きく低下していない場合があります。 反対に、痛みも張りもないのに、普段よりジャンプの高さや挙上の速度が落ちていることもあります。
そもそも筋肉痛は、運動の最中ではなく、数時間後から翌日、翌々日にかけて出てくることが多いものです。 痛みが出たタイミングと、負荷がかかったタイミングはずれています。 「今日は痛くないから、昨日の練習は軽かった」とは限りません。
筋肉痛は分かりやすい手がかりですが、疲労を測る物差しとしては粗いものです。 「筋肉痛がないから大丈夫」とも、「筋肉痛があるから休むべきだ」とも、それだけでは言えません。
「疲れていない」という本人の言葉で判断してよいのか
本人の感覚だけでは判断しません。
選手が「疲れていない」と答えていても、普段よりジャンプ能力や挙上速度が低下していることがあります。 反対に、本人が重さを感じていても、数値には表れていないこともあります。
主観と客観は、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというものではありません。 両方を見て、一致しているのか、一致していないならなぜなのかを考えます。 この考え方については、連載コラム「今日、調子がいい」は何で判断する?でも触れています。
疲労は、どうやって確かめるのか
一度の測定ではなく、同じ条件で繰り返し測り、その選手自身の普段の値と比べます。
測定の現場では、CMJ(反動を使った跳躍)、スクワットジャンプ(反動を使わない跳躍)、 挙上速度(VBT)といった項目が使われています。 とくにCMJは、神経筋機能の状態を継続して追う方法として、測定の現場で広く用いられています。 それぞれの項目が何を見ているかは、解説記事「コンディショニングとは」にまとめています。
大切なのは、他人と比べるのではなく、その選手自身の普段の値と比べることです。 同じ数値でも、普段からその水準にいる選手と、普段より落ちている選手とでは、意味がまったく違います。
ただし、数値が一度下がっただけで、疲労やオーバートレーニングと判断できるわけではありません。 次のようなことを合わせて考える必要があります。
この6つは、どれか一つで決まるものではありません。 数値が下がった日に、前の晩の睡眠が短く、練習量も増えていたのであれば、読み方はかなりはっきりします。 反対に、どれも普段どおりなのに数値だけが落ちているのであれば、まず測り方を疑います。
見落とされやすいのが、最後の測定条件です。 測った時間帯、その直前に何をしていたか、履いていた靴、測る人。 条件が変われば、数値も変わります。 「数値が下がった」と判断する前に、同じ条件で測れていたのかを確かめます。
疲労と、オーバートレーニングは同じものなのか
同じではありません。
運動のあとに疲労が出ること自体は、避けるべきことではありません。 身体は負荷をかけることで変化するので、疲労はその過程で当然に起きます。 問題になるのは、回復の機会をとっても状態が戻らず、低下したままの期間が続く場合です。
ただし、その見極めは測定の数値だけでできるものではありません。 睡眠や食事、競技以外の生活、体調など、確かめることが多くあります。 また、疲労に見える変化の背景に、別の原因が隠れていることもあります。 長く続く不調は、トレーナーや医療従事者に相談してください。
疲労管理の目的は、疲れをなくすことなのか
違います。
身体は、負荷をかけることで変化します。 疲れをゼロに保とうとすれば、成長に必要な刺激まで避けることになります。
疲労管理の目的は、成長に必要な刺激を与えながら、回復とのバランスを保つことです。 疲労を悪いものとして消そうとするのではなく、 いまどの程度の疲労があり、次にどれだけの負荷をかけられるのかを把握しておく。 そのための材料として、測定も、本人の感覚も使われます。
ここまで見てきたとおり、疲労という言葉は、一つの状態を指していません。 どこで起きているのか、どれくらいで戻るのか、何を見れば分かるのか。 それを分けて考えられるようになると、「疲れた」という一言から、次にすることが決まるようになります。
疲労をなくすことではなく、疲労を読めるようになること。 コンディショニングの出発点は、そこにあります。
NOTE
本稿は、スポーツにおける疲労という言葉の意味と考え方を整理した解説記事です。 特定の方法やサービスの効果を示すものではありません。 痛みや体調に関する判断は、医療従事者にご相談ください。


